第16回:「近代日本と陽明学」

古典に学ぶ

明治・大正期の陽明学研究

明治維新後、西洋文明の大々的な導入が進む中、一時期日本の伝統的な思想や学問は軽視される傾向がありました。しかし、明治中期から後期にかけて、日本の伝統思想を再評価する動きが起こり、陽明学も再び注目されるようになりました。

明治期の陽明学研究の中心人物の一人が井上哲次郎(1855-1944)です。彼は東京帝国大学で「日本陽明学派之哲学」と題する講義を行い、日本における陽明学の歴史と特徴を体系的に整理しました。彼の『日本陽明学派之哲学』(1900年)は、日本陽明学研究の先駆的な業績として評価されています。

また、哲学者の西田幾多郎(1870-1945)も陽明学から影響を受けた思想家です。彼の「純粋経験」や「場所の論理」などの概念は、王陽明の「心即理」や「良知」の考え方と共通する側面があります。西田は東洋思想と西洋哲学を融合させる形で独自の「京都学派」の哲学を構築しましたが、その中には陽明学的な要素が含まれています。

大正期には、高瀬武次郎(1868-1950)が『支那哲学史』(1910年)や『王陽明詳伝』(1915年)などを著し、学術的な陽明学研究を進めました。また、実業家の安岡正篤(1898-1983)は陽明学を経営理念や人間形成に活かす実践的な研究を展開しました。

三島由紀夫と陽明学

日本の現代文学を代表する作家の一人、三島由紀夫(1925-1970)は、陽明学に深く傾倒した知識人として知られています。彼は特に晩年、王陽明の「知行合一」の思想に強く惹かれ、自らの文学活動や社会的行動の指針としました。

三島は『葉隠入門』(1967年)や『行動学入門』(1969年)などのエッセイで、王陽明の思想について言及しています。特に『行動学入門』では、現代社会における「知」と「行」の分離を批判し、「知行合一」の精神を回復することの重要性を説いています。

また、三島の最後の小説『豊饒の海』四部作、特にその最終巻『天人五衰』(1970年)には、陽明学的な思想が色濃く反映されています。主人公の本多繁邦が「行為と見ることとの間には、如何なる架橋も存在しない」と悟る場面は、「知」と「行」の関係についての三島の思索を表しています。

三島の最後の行動、いわゆる「三島事件」(1970年)も、彼の「知行合一」への傾倒と無関係ではないと考えられています。彼は単なる言葉や思想ではなく、実際の行動によって自らの信念を示そうとしたのです。

私は難病体験を通じて、「知っているけれどできない」状態から「知行合一」への転換の難しさを実感しました。健康の大切さを頭では理解していても、実際の行動に移すには大きな決断が必要でした。三島の過激な行動は共感できませんが、知と行の一致を求める真摯さには理解できる部分があります。

戦中・戦後の陽明学受容

戦前・戦中期の日本では、陽明学は時に国家主義的なイデオロギーと結びつけられることがありました。特に「献身」や「行動」を重視する側面が強調され、軍国主義的な文脈で解釈されることもありました。

一方、戦後の民主化の流れの中では、陽明学の別の側面、特に「良知」の普遍性や「万人平等」的な思想に注目が集まりました。丸山眞男(1914-1996)のような政治思想史家は、陽明学に含まれる「主体性」や「批判精神」の側面を評価しました。

1960年代から70年代にかけて、安岡正篤の影響で多くの実業家や政治家が陽明学に関心を持ち、経営哲学や指導者の在り方の指針として参照するようになりました。松下幸之助や稲盛和夫など、日本を代表する実業家の中にも、陽明学の影響を受けた人物がいます。

また、1990年代以降は、グローバル化や情報化の進展に伴う価値観の多様化の中で、陽明学は「自己啓発」や「心の在り方」を考える上での一つの参照点として再評価されています。特に「知行合一」や「致良知」の考え方は、現代の複雑な社会を生きる上での指針として注目されています。

日本的精神文化への影響

陽明学は日本の様々な文化領域に影響を与えてきました。武道、芸道、経営哲学など、広範な分野で陽明学的な思想が取り入れられています。

例えば、武道の世界では、単なる技術の習得ではなく、心身の修養と人格形成を重視する考え方に陽明学の影響が見られます。特に「心技一如」(心と技の一致)の理念は、王陽明の「知行合一」に通じるものがあります。剣道や柔道などでは、形だけでなく「心」の在り方が重視されますが、これも陽明学的な考え方と言えるでしょう。

茶道や華道などの伝統芸道でも、技術の習得と同時に心の修養が重視されます。千利休の「和敬清寂」の精神や、「一期一会」の考え方には、陽明学の「今この瞬間の心の在り方」を重視する姿勢が反映されています。

また、現代の日本の経営哲学にも陽明学の影響が見られます。「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)の近江商人の精神や、「企業は人なり」とする経営理念は、陽明学の「万物一体の仁」や「良知」の考え方と共鳴するものがあります。

さらに、日本人の宗教観や死生観にも陽明学は影響を与えています。特に「生死一如」(生と死は本質的に一つである)という考え方や、「今この瞬間を誠実に生きる」という姿勢には、陽明学的な要素が含まれています。

私は難病と向き合う中で、「瞬間を大切に生きる」ことの意味を深く考えるようになりました。健康だった頃は当たり前に過ごしていた日々が、実はかけがえのない一期一会の連続だったのだと気づいたのです。これも陽明学の「今この瞬間の良知を実現する」という教えに通じるものがあると感じています。

次回は、陽明学が朝鮮半島でどのように受容され、発展したのかを見ていきます。日本とは異なる文化的背景の中での陽明学の展開に注目していきましょう。

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